【Vtuber考察】1人のVtuberは何を持って「その人」と認識されるのか

こんにちは。

大学卒業してから、Vtuber関連のお仕事をして生計を立てるようになりました。

おかげさまで制作依頼は30件以上となり、たくさんVtuberを作ってみました。

またVtuberプロデュースもしており、着々と進んでおります。

さてさて、結構前になりますがそんなVtuberの先駆けであるキズナアイさんに関するこんなニュースがありましたね。

記事タイトル | ニコニコニュース
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前々から、Vtuberの複数人運営に関してはツイートしてたりしてました。

複数人運営は「人格がぶれる」 「イメージが変わる」などの批判が予想できますが、これらについて考えたことを今回はまとめます。

人格とは?

そもそも人は人の人格をどうやって認知するんですかね?

「〇〇さんっぽいよね」「〇〇さんらしいね」などの言葉はよく使われますが、人は人に対してある固定されたの人格を認知しているから、こういう言葉を使います。

でも、その人格というのはその人が抱いているだけで、虚像なんですよね。

人に抱く人格というのは自分がその人の印象の合計によって形成している虚像でしかないのだと僕は思います。

1人の人間に1つの人格など存在しない

つまり僕が思うに、1人の人間に1つの定義された人格など存在しないということです。

よく多重人格は病気だと言われますが、外から1人の人をみた場合「多重人格」なのです。

「多数人格」と良いかもしれません。

人格というのは定義することはできず、人によって「ある人」に抱く人格・イメージは異なります。

つまり世の中的には1人の人格とは複数個存在することはあり得るということです。

Vtuberは複数人で運営可能では?

そう考えると1つのVtuberを複数人で運営することは可能なのではないでしょうか?

1つに定義された人格が存在しないのであれば、1人が1つのキャラクターを運営する必要はありません。

例えばツイッターなどでは1人の人が複数個のアカウントを持ってたりします。

それぞれのアカウントは全く人格が異なるように感じる人もいるでしょう。

これは1人が複数個の人格を表現するという例ですが、逆があってもいいんじゃないですかね?

複数人で運営しても、視聴者からみたら1つのキャラクターであり、視聴者それぞれでそのキャラクターの人格を形成するだけです。

過剰労働の解消になり得る

最近はVtuberの引退というニュースをよく耳にします。

理由は多種多様だと思いますが、その中でも「過剰労働」も多くの理由かとおもいます。

VTuberの炎上問題を考察する|かなた
※2019/4/6 掲載 2019/4/15更新 この記事を書いている現在、ゲーム部は大炎上中だ。今回はいわゆる労働問題。実際、ゲーム部のクオリティをあの頻度でやっていること自体があり得ないことなので、なおさら説得力がある。 一ファンの意見を言わせてもらえれば、もうこんなことはこりごりだ。ファンに助けを求める風潮は...

ネットで探してみても、これらの理由で引退する人はよく見かけます。

多くのVtuber達から抜きん出るためには毎日配信は確かに重要であり、それが重圧となって体を壊したりする人もいるでしょう。

しかし、1人のキャラクターを複数人で運営したらこの問題は解決するかと思います。

複数人運営のVtuberは出てくるはず

おそらく今後複数人運営のVtuberは出てくるはずです。

そうなったときに世間がどのような反応をするのかが楽しみですね。

以上です。

 

 

 

 

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